◆住職あいさつ◆

現代社会は情報化社会でもあり、わたくしたちを取り巻く環境も目まぐるしく変化しており、今、この時この時代を生きていくために何をすべきかに直面することが多くあります。そうした中でのわたくしたちのよりどころにあるものそれは、念仏のお心になります。

「弥陀ノ名號トナヘツツ 信心マコトニウルヒトハ 憶念ノ心ツ子ニシテ 仏恩報ズルオモヒアリ」 

この和讃は、三帖和讃(「浄土和讃」「高僧和讃」「正像末和讃」)の巻頭にあります。阿弥陀如来のわたくしたちをお救い頂くための本願は、わたくしたちの口を通して「南無阿弥陀仏」として発せられます。そして、そのはたらきを何一つ疑うことなく聞信する人は念仏せずにはおられなくなり、こちらから求めなることがなくてもわたくしたちのそばに寄り添い、多くのいのちを引き受けてくださるというご恩を感謝せずにいられなくなるということです。また、いまこの瞬間に仏法と出合い、聞信することの大切さを親鸞聖人は得度の時に詠われたと伝えられる和歌に、「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」と、そして、蓮如上人は、「仏法には世間のひまを欠きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきやう思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよし」とお示しくださいました。このことからも、わたくしたちのいのちは儚いものであり、今この瞬間に出会い味わうことができる仏法に明日出会えるかどうかは誰にもわからないのです。そして、阿弥陀如来の本願を信じ、何一つ疑うことなく一心にお念仏を申し、今まさに生きていく道を一歩ずつ歩んで行くことが大切なのです。

 

第十九世 住職 岩佐 大宣