◆歴 史◆

●明応代(一四九二年頃)

 尾州熱田大宮司某の三男であった岩佐藤蔵善国が、聞名寺末寺照蓮寺にて得度を受け、釋善教と改め、飛騨高山に善国寺(現 高山市の勝久寺)を建立

 

●享禄二年(一五二九年)

 善教の子 善永(安養寺初代)は、濃州方県郡下土居村(現 岐阜市下土居)に来村し、念仏道場(現 安養寺)を創建し、善国寺より持参した宝物である蓮如聖人真筆六字名号一幅、七高僧画像を安置

 

●天正二年(一五七四年)三月二十七日

 善永の子 永明代(二代目)が本山に画像下附を願い出た処、本末の吟味があり顕如聖人より聞名寺末寺濃州方県郡土居郷願主永明と免許され、寺号を安養坊と号す

 

●寛文三年(一六三三年)

 永明を開基とし、その後先祖善永より、五代目永順代に寺号を安養寺と本山より御免下される

 

●安政元年(一八五四年)

 十三代至誠の時、本堂裏堂より失火し、本堂が全焼。その火災によりご本尊を始め、過去帳・宝物・寺史等一切焼失

 

●安政二年(一八五五年)

 至誠は、本山に対し親鸞聖人・聖徳太子・七高僧御影の再下附を申請しました処、免下され現本堂に今日まで安置されている

 

●昭和六年

 鐘楼は(十五代行順代)に黒野御坊より古鐘楼を譲り受け、当寺に移築される。古鐘楼は、安土桃山時代に建築されたものと言われている。

 

●年代不明

 山門については、建築年代は不明

 

●平成三年四月

 現本堂及び会館は第十七代恵雲の発願によってに計画されるが、完成前の平成五年十二月二十八日に往生の素懐を遂げる

 

●平成六年末

 第十七代恵雲より第十八代宣章に引き継がれて、現本堂並びに会館を竣工

 

●平成七年四月十六日

 本堂落慶並びに第十八代宣章の住職継職法要を勤修

 

●平成二十九年十二月二十六日

 第十八代宣章 往生の素懐を遂げる

 

●平成三十年十二月

 老朽化、損傷が著しい状況であった納骨堂の増改築を行う。

 

●平成三十一年 十月二十六日

 納骨堂増改築終了に伴う竣工式を行う

 

●令和元年十一月十七日

 第十九世大宣(現 住職)の住職継職、納骨堂増改築落慶、親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を勤修